ひまつぶし人間観察

新興宗教の宮殿

大手の週刊誌のグラビアに、豪華絢爛たる寺院の写真が見開きで掲載されていた。
「ヤバい」で検索すると、被害者の声が何ページも出てくる。

人里離れた山の中に巨大で壮麗な建物が並びたつ様子は異様だ。
オウム真理教の例もあり、地元住民はこぞって建設反対の声を上げたらしいが、名義を変えて建設許可を取り、建ててから名義変更という荒業で進められたらしい。
建設は大手ゼネコンが行っている。

名の通った教団から無名の教団まで、新興宗教の団体はとかくド派手な建物を作る。
その資金はいったいどこから湧いてくるのだろう。
不思議でならない。

とある宗教者が言っていた。
「神様には、お金も食べ物も必要ないんですよ。」
彼は、まっとうなことを言っていると思った。

かつて「田中角栄研究」を掲載し、「ジャニーズ帝国」に異を唱えてきた週刊誌が、なぜ新興宗教の問題に触れないのか、とんとわからない。

癒着することのメリットとデメリットを天秤にかけての判断なのかな、と想像する。
政治家の暗部を報じないことは、政治家と癒着することに通じる。
報じないことで、多少の恩恵を受けたりはするだろうが、メディアとしての信頼性は地に落ちる。
当時、相当の逆風は受けたろうが、大スクープにより購読者は増え、確固たる位置を占める礎になった。
ジャニーズにしても、助走期間は長かったが、粘っているうちに、世の中の風向きも一気に変化した。
元々ジャニーズとの関係が薄かったから、デメリットはとるに足らないと判断したのだろう。

新興宗教団体の広告は、入れ代わり立ち代わり目立つ場所に掲載されている。
現地取材報告や、紀行文のような体裁だったりで、違和感なくページをめくれるようになっているのは、さすがプロの技だ。
安部元首相のビデオメッセージと、目クソ鼻クソレベルの違い。

最近はコラムを読んでいても、店舗名ヤブランド名、イベント名などがさりげなく織り込まれ、うっかりすると足をすくわれる。
広告のパッチワークと化したTV番組のようになるのも時間の問題だろう。

情報とは、それを発信する人間が存在する時点で、すでに色がついているのかもしれない。
だからと言って、自分が直接見聞きした事柄だけを頼りにするというわけにもいかないので、困ったものだ。

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