ひまつぶし人間観察

生きがい

ほぼ毎日通る踏切で、よく出くわす爺さんがいる。
街が線路で分断されているので、踏切は老若男女いつもたくさんの人が利用する。
おまけに3本の路線が重なっているから、始終遮断機が下りていて大勢がたむろする羽目になる。
朝夕は車の渋滞も甚だしく、踏切の一つ手前の交差点の手前から、車が列をなす。

爺さんは、その人だかりの中を、いつも大声で怒鳴りながら通っていく。
「このバカタレ、自転車は右側通れっつってんだ。コンチクショウ。何度言わせんだ‼」

片側1車線の細い道で、爺さんの言う右側の歩道は、白線が申し訳のように引いてはあるが、どぶ板の上で、踏切の手前当たりでは幅20cmもない。
猫しか通れない。自転車では到底無理だ。
付け加えると、踏切には左側にしか歩道の設置がないので、右側の歩道を進むと、踏切手前で道路を横断しなければならない。
踏切の手前に横断歩道が設けてあるわけでもなく、車の停止線と遮断機の間は1mもない。
要するに、実行不可能なルートである。
よって、誰も右側は通らず、爺さんに出くわす者は全員罵声を浴びることになる。

爺さんも、帰り道は踏切の向こうへ渡るはずだが、彼が戻る頃には道も空いていて、通行車も少なく、歩道をはみ出してもさほど危険なく通れるのだろうと推察する。

怒鳴り声をあげている爺さんは、生き生きして見える。
正義感に満ち溢れている。
俺様は、バカタレどもに交通ルールを教えてやってんだ、と言わんばかりに胸を張っている。
これは彼の”生きがい”なのかな、と思う。

“生きがい”とは、「生きるはりあい」、あるいは「しあわせを感じるもの」、「生きる価値や経験を実現できるもの」だそうだ。
多分、このどれにも当てはまりそう。

ご近所には、ゴミ置き場の見張り婆さんもいる。
公園の角が地区指定のゴミ置き場なのだが、婆さんの家はちょうど向かい側で、ゴミ出し時間帯は、二間ほどの家の前の道路を行ったり来たり繰り返し箒で掃いている。
覆いネットのかけ方が甘かったり、少しでもはみ出したりするとこっぴどく注意されるので、ここのゴミ置き場はとてもきれいに維持されている。

収集車が去った後、彼女がどんな風に過ごしているのか、少し気になる。

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